特攻平和記念館

こんにちは。政綱です。

先日は、ふらりと鹿児島に行ってきて特攻平和記念館を見てきました。

鹿児島中央駅まで約3時間半、知覧までバスで1時間20分と

なかなか時間がかかります。

太平洋戦争時、物資を求めてアジアの植民地に物資を求めて領土を拡大しましたが

敗北続きで撤退戦となり沖縄に上陸され、侵攻阻止、本土死守の為に行った航空特攻作戦。

250㎏の爆弾を積んで、御国のため、家族のためにと戦艦に突っ込んでいく。

成功率10%で特攻したら最後、”必死”の作戦。

全体で1000人以上特攻戦死者が居て

知覧は最南端基地のため、439人の特攻戦死者を遂げてました。

学生時代に映画や歴史の授業で知識はあったものの

改めて移動時間に当時のことを掘り下げて学ぶ貴重な時間でした。

この作戦に参加したのが17歳~25歳が中心で

記念館には多くの遺書や遺品が飾られており

一つ一つ読んでいくと半日以上の時間を要しました。

親や奥さん、祖父母、兄弟、戦友、部下の家族に向けた遺書の中でも

お母さんに向けて親孝行出来ず申し訳ないという遺書が多く

中でも義理の母に向けた”今まで恥ずかしくて母と呼べなくてごめんなさい。手紙で呼ばせてもらいます。

お母さんお母さんお母さん”といった内容の手紙を読んだ時は涙で溢れました。

あの遺書は生涯内容を忘れることはないと思います。

ウクライナ・ロシアの問題も一年以上続き

当初は遠い世界のようにとらえていましたが

ネットで動画などを見て他人事ではないなと思い

今回、歴史を学びなおしていました。

もし、自分が三日後に特攻してくれと言われたら

どういう思いで過ごしてどういう感情を抱くでしょうか。

自由に考えて仕事をしていける環境や

日本の為に戦った先人に感謝して

より一層仕事に打ち込みたいと思いました。

タイトルとURLをコピーしました